こんにちは。森山です。
私は、豊中で「まちあいの森」という小さな場を開き、その中で、IMA LIBRARYという本を中心にした取り組みも育てています。
まちづくりや場づくりとしてのまちあいの森・IMA LIBRARYの運営のほか、対話の場のファシリテーション、福祉人材やコーチの育成、そしてソーシャルワークやコーチングの普及活動に取り組んできました。
その中で、ずっと考えていることがあります。
- 人が自分らしく生きるためには、どんな場が必要なのか。
- 優しいつながりが生まれるためには、何が必要なのか。
- 多様な人が共に生きる社会を、どうすれば豊かに育てていけるのか。
この問いに向き合うほど、私は「対話」の大切さを感じるようになりました。
対話と会話の違い|会話は人と人をつなぐ入口

私たちは日々、たくさんの会話をしています。
- 「今日は暑いですね」
- 「最近どうですか」
- 「この本、面白かったですよ」
こうした何気ないやりとりは、とても大切です。会話があるから、人と人との距離は少しずつ近づきます。
場の空気がやわらぐこともありますし、「そこにいてもいいんだ」という感覚が育っていきます。
会話から始まる関係|ゆるやかなつながりも大事
まちあいの森やIMA LIBRARYのような場でも、最初から深い話が始まるわけではありません。本の話、天気の話、子どもの話、仕事の話、地域の話。そうした小さな会話が、安心して場にいられる土台になります。
会話は、関係の入口です。
軽やかで、日常的で、相手との距離を少し近づけてくれるものです。
表面上の会話だけでは届かないものもたくさんある
関係の入り口となる会話は重要である一方で、会話だけでは届かないところがあります。
- 自分が本当は何を感じているのか。
- 相手が何を大切にしているのか。
- 自分と相手の共通点や違いはどこにあるのか。
- その違いを、どうすれば豊かさに変えていけるのか。
そこに向かうためには、もう一歩深い言葉の営みが必要になります。
それが、対話なのではないでしょうか?
会話と対話|対話は互いの内側に耳を澄ます営み

対話とは、ただ言葉を交わすことではありません。
自分が何を感じ、何を考え、何を大切にしているのかを言葉にしてみること。
相手の言葉の奥にある背景や願いに耳を傾けること。
自分と相手の違いを、急いで正解か不正解に分けずに受け止めてみること。
それが対話だと私は考えています。
会話でも議論でもない「対話」の重要性
対話は、意見をひとつにまとめるためだけのものではありません。
議論をして意思決定することももちろん大事です。
ただ、私が関わってきたまちづくりの場面など、みんなにとって大事な意思決定だからこそ、多様な意見を尊重した方がいいと感じる場面もこれまでたくさんありました。まちづくりなどでは、むしろ、違いがあることを前提にしながら、意思決定していく営みです。
人は、それぞれ違う経験をしてきました。育ってきた環境も、傷ついてきたことも、守ってきたものも違います。
私はどう考えているのか。そして、あなたはどう考えているのか。どこが一緒で、何が違うのか。この理解を一つ一つ丁寧に行いながら、関係性を育み、「私」と「あなた」が「私たち」になっていくこと。
このプロセスを作っていくことが大事なのだと思います。
異なる認識を受け止め合うということ
私たちは、同じ言葉を使っていても、その言葉に込めている意味が違うことがあります。
たとえば「安心」という言葉ひとつをとっても、ある人にとっては静かに過ごせることかもしれません。別の人にとっては、困ったときに助けを求められることかもしれません。また別の人にとっては、自分の意見を否定されずに言えることかもしれません。
このような「認識の違い」があったとき、「どちらが正しいのか」ということの正当性を主張し合い、「勝者」「敗者」を決めることもできるかもしれません。でも、対話を通じては、互いの認識を受け止め合うことだってできるはずdせう。
このような「対話」を通じて、異なる認識があることを場の豊かさに変えていくことができたという経験も、たくさんあります。
対話の基盤となる自己対話

ただし、対話をするためには、自分が何を考えているのかに向き合う習慣が必要だとも私は考えています。自分の考えに向き合う日々を送り、それを言葉にするということは、簡単なようで実はとても難しいこととも言えます。
自己との対話抜きに他者との対話は難しい
私たちは、自分の言葉で話しているようでいて、知らないうちに誰かの言葉を借りていることがあります。世間でよく言われていること。SNSで見かけた言葉。組織の中で求められる言葉。専門職としての模範的な答えなど、深く突っ込まれると「意外と自分でも理解していない」ということがあります。
もちろん、学んだ言葉を使うこと自体が悪いわけではありません。けれども、その言葉が自分の内側を通っていないとき、言葉はどこか空回りしてしまいます。
- 「本当は、私はどう感じているのか」
- 「この言葉を使うとき、私は何を守ろうとしているのか」
- 「私は何に違和感を覚えているのか」
- 「私はどんな未来を望んでいるのか」
こうした問いに向き合うことが、対話の土台になります。
自己理解の解像度UP→他者理解が深まる→「対話」につながる
そして、自分の言葉を持つことは、相手の言葉を受け止める力にもつながります。
自分の感じていることがわからないまま相手の話を聞くと、相手の言葉に飲み込まれてしまったり、逆にすぐ反発したくなったりします。
けれども、自分の内側に気づけていると、違いに少し落ち着いて向き合うことができます。
「私はこう感じる。でも、この人は違う見方をしている」
「すぐに賛成はできないけれど、この人が大切にしているものは何だろう」
このように、自分との対話は、他者との対話を支えるものでもあります。
場づくりと社会福祉実践における対話

私は日頃から場づくりをしていますが、対話はとても重要です。
場は、場所を用意すれば自然に育つわけではないですし、イベントを開けば、それだけで賑わいや豊かさが生まれわけでもありません。
場の豊かさと交わされる言の葉たち
場を育てるのは、そこに交わされる言葉です。
- どんな言葉が歓迎されるのか。
- どんな沈黙が許されるのか。
- どんな違和感が大切にされるのか。
その積み重ねによって、場の質は変わっていきます。
豊かな場は、誰か一人の所有物ではありません。そこに関わる人たちが、少しずつ持ち寄り、手入れし、育てていくものです。そういう意味で、場は公共財のような性質を持っています。
社会福祉・ソーシャルワーク実践と「対話」
社会福祉やソーシャルワークの実践においても、同じことが言えます。
支援とは、相手に正しい答えを与えることだけではありません。制度やサービスにつなぐことはもちろん大切ですが、その前に、その人がどのような人生を生き、今どのような世界を見ているのかに耳を澄ますことが必要です。
困りごとの奥には、孤立があるかもしれません。怒りの奥には、聞いてもらえなかった悲しみがあるかもしれません。意欲がないように見える姿の奥には、何度も失望してきた経験があるかもしれません。
対話は、そうした見えにくい背景に近づくための営みでもあると私は考えています。
おわりに|言葉を育てることは場の豊かさを育てること

ここまで見てきたように、会話と対話は、どちらが上で、どちらが下というものではありません。
会話は、人と人をやわらかくつなぎます。
対話は、人と人の違いを豊かさに変えていきます。
どちらも、場づくりには欠かせないものです。
ただ、個人の幸せや、優しいつながりや、豊かな公共財としてのまち・場を育てようとするなら、私たちは対話の力をもう少し丁寧に育てていく必要があるのだと思います。
- 自分の言葉を持つこと。
- 相手の言葉に耳を澄ますこと。
- 違いを急いで裁かないこと。
- まだ言葉になりきらない思いを大切にすること。
その積み重ねが、個を解き放ち、望みを育み、優しいつながりを生み出していく。
言の葉の森は、そんな言葉と対話の営みを大切にする場所でありたいと思っています。
コメント